交通安全コラム

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地上最高速の争い(17)―蒸気自動車と結婚した男(6)―

前回は、蒸気車のチャンピオンと呼ばれたセルポレの偉大な勝利とコメントを紹介した。
今回は、蒸気車とガソリン車の内容の比較と、ガソリン車の激しい攻勢とセルポレの蒸気車での対応を見ていく。

◆106馬力対40馬力
ここで、セルポレの蒸気車、イースターの卵とガソリン車のメルセデス・シンプレックスの車両を比較してみよう。車重は、蒸気車の1800キロに対してガソリン車は1250キロで、蒸気車がかなり重い。しかし、エンジンの出力は、蒸気車の106馬力に対してガソリン車は40馬力なので、蒸気車の余りある出力が重量のハンディを補って高性能を発揮した。

◆1.6リットル対5.3リットル
興味深いことに、両者ともエンジンは4気筒であるが、総排気量は、蒸気車の1.6リットルに対してガソリン車は5.3リットルと巨大である。最高回転数は、蒸気車が毎分1220回転と、ガソリン車の1050回転を大きく上回り、いかにセルポレの蒸気エンジンの技術が優れていたかが理解できる。

◆ガソリン車の勝利
しかし、セルポレの記録も、早くも8月には、性能向上の著しいガソリン車の激しい攻勢に持ちこたえられず、破られることになる。米国人ウイリアム・バンダービルト・ジュニアが、モール車で、時速76.08マイルで世界記録を奪い取った。これは、ガソリン自動車が初めて世界記録を達成したことと、初めて米国人が世界記録を手にするという歴史的な出来事であった。

◆くじら
セルポレはそれを、手をこまねいて見過ごしたわけではなく、イースターの卵のさらなる流線型化を進めて、“バレーン(くじら)”と名付けた新型車(図1)を開発した。そのエンジンは180馬力に強化されていたので、スピードイベントで新記録達成は確実視されていたが、ボイラーの継ぎ手が脱落して実現できなかった。

セルポレの“くじら”

◆250馬力
1903年には、公称250馬力の“流線型”と称される新型車(図2)で、セルポレは、ふたたびロスチャイルド杯を獲得する。その出力なら時速104マイルの最高速は出せると考えられたので、彼は最後に走ったが、記録は76.43マイルに止まり、この年には既に時速80マイルを超えて上昇していたガソリン車の記録に及ばず世界記録奪還は成功しなかった。
1904年のゴードン・ベネット杯では出場資格獲得に失敗し、結局、イースターの卵とくじらがセルポレのレース技術の頂点となった。

セルポレの“流線型”

今回は、ガソリン車の激しい攻勢と不成功に終わったセルポレの蒸気車での対応を紹介した。
次回は、初めてガソリン車で蒸気車の記録を奪った米国人バンダービルトの出自と経歴を紹介する。

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