研究助成プログラム

助成研究者インタビュー・自己紹介

交通事故対策に公衆衛生の視点を

タカタ財団・2014年度研究助成の対象テーマ
「通学時の交通事故の時系列分析に基づく通学路の交通安全対策の提案」
この研究の概要について、市川政雄氏に語っていただきました。

市川

交通事故による健康被害は公衆衛生学の対象の一つ

―初歩的な質問で恐縮ですが、先生が主な研究分野とされている公衆衛生学が交通事故の研究とどう結びつくのか、その辺りからお教えください。

 英語でパブリックヘルスやポピュレーションヘルスと言うことから分かるように、公衆衛生学は人間の健康問題を集団レベルで捉える学問です。主に疫学と統計学を駆使しながら、健康問題の傾向や原因を解き明かしていき、それを効果的な対策に繋げていくことを目指しています。ですから当然、社会的に大きな問題となっている交通事故による健康被害=死亡や傷害もその対象となるわけです。
 日本ではこの両者の関係があまり理解されていないようですが、欧米ではもはや言うまでもなく、大学をはじめ多くの機関で公衆衛生学の専門家が交通事故研究を行っています。WHO(世界保健機関)には、そのための部局も設けられているほどです。

―なぜ日本では公衆衛生学による交通事故の研究についての理解が進まないのでしょうか?

 交通事故はアクシデント、すなわち予測不能で防ぎえない偶発的な出来事と捉えられてきたからだと思います。本来は他の疾病対策と同じように、集団レベルのデータに基づき、事故の傾向や原因を明らかにしていけば、それをもとに効果的な対策を講じることが可能となり、ひいては死傷者を減らすことができるはずなのですが、交通事故となると個々の事故がクローズアップされ、付け焼刃の対策に終わってしまうことが多々あるように思います。 

―今回の研究「通学時の交通事故の時系列分析に基づく通学路の交通安全対策の提案」は、そうしたことを前提にして、より効果的な対策の導き出し方を提示したものと捉えて良いのでしょうか?

 はい。具体的には2011年から12年にかけて集団登下校中の児童を巻き込んだ重大な事故が相次ぎまして、それを受けて政府が対策に乗り出しました。その時政府は素早く全国の通学路の7万4483箇所を対策必要箇所と特定し、その大半に対策を施したと報告しています。しかし、それらが集団レベルの事故データ分析に基づく対策だったのか、また実際のところ対策に効果があったのかどうかについてはよくわかりません。そこで私たち(共同研究者:筑波大学 稲田靖彦助教/神奈川県立保健福祉大学 中原慎二教授/東京大学大学院 冨尾淳講師)は、公衆衛生学的な視点から過去10年間の事故データを分析し本来、通学路においてどういう対策を取るべきだったのか、そのヒントを得ることにしたのです。

中学生男子の自転車事故が減少していないことが判明
 
―では、研究の概要と、そこから分かったことなどをお教えください。

 2003年から12年迄、過去10年間の交通事故データと人口データを用いて、小中学生の通学時の事故発生状況と動向を検討し、減少傾向が小さい状況と、大きい状況を同定する作業を行いました。残念ながら、日本では事故の個別のデータは公開されていないため、クロス集計の形式でデータを入手し分析しました。

 その結果、次のような傾向がみられました。。
先ず、10年間の死亡重傷事故をまとめますと、
①歩行者・自転車いずれも女子よりも男子で死亡重傷率が高かった
②歩行者では年齢が低いほど死亡重傷率が高かった
③自転車の死亡重傷は大半(96%)が12-15歳で起こっていた
④歩行者の死亡重症は下校中が多く(63%)自転車の死亡重傷は登校中がやや多かった(53%)
⑤歩行者の死亡重傷は多くが横断中に起こっていた(75%)
⑥多くの死亡重傷者(歩行者62%、自転車78%)に法令違反があった
⑦多くの死亡重傷事故(歩行者78%、自転車84%)が信号機のない場所で起こっていた
等が明らかになりました。

 次に、登下校中の交通事故死傷率比の年次推移の分析では10年間で約30%の減少、とりわけ低学年男子児童の率が大きく減っていたことがわかった一方で、当事者種別・性・年齢で層別した分析では12-15歳の男子の率にあまり変化がないことがわかりました。
 実は通学時の交通事故で死亡あるいは重傷を負った小中学生の約半数は自転車事故によるものです。ここで注目したいのは、自転車通学者数は徒歩通学者数と比べ圧倒的に少ないことから、自転車通学者における死亡重傷率は徒歩通学者と比べ実際はかなり高いということです。そして、それが過去10年間あまり改善してこなかったということです。

図表

―2011年から12年にかけて集団登下校中の児童の重大な事故が相次いだ時は、歩行している小学生が危ないという認識が醸成され、それに基づく対策が打たれたと思うのですが、分析してみたら2003年から12年にかけての死亡重傷率は実は小学校低学年を中心にして暫時低下していた……。つまり、本当に打つべき対策は、数と率ともにあまり低下していない中学生男子の自転車通学に関するものだったということですね。

 もちろん、小学生の集団登下校中の安全対策は常に大切ですが、重大事故に気を取られすぎると、対策に偏りが生じます。データを見れば、自転車通学する中学生の安全対策がいかに重要か、一目瞭然です。

―もし、それが事前に明らかになっていたとしたら、どういう対策が取られて然るべきだったのでしょうか?

 中学生の自転車事故の特徴は、7割近くが交差点で発生していて、その交差点には信号機がないことが多いのです。だからといって、すべての交差点に信号機を設置するのは合理的でありませんので、交差点でクルマや自転車がスピードを落とすような工夫、例えば道路を狭めたり、ハンプを設置したり、それが物理的に困難であれば視覚的にそうするといった対策は理にかなっていると思います。
また、事故にあった際、重傷を負わないためには、ヘルメットの着用が有効です。着用義務の有無は、地域によって、また同じ地域でも学校によってバラバラだったりするので、今回の結果が着用推進の根拠になるのではないかと思います。
 一方、歩行者事故に関しては、7割以上が信号機のないところで横断中に起きていて、しかも歩車道の区分があっても起きています。いわば、事故はどこででも起こるのです。この結果は、歩行者とクルマが交わらない通学路の必要性を示唆していると思います。
歩行者もクルマも予期せぬエラーをどこででも起こします。だからこそ、ブラックスポット対策では不十分であり、通学路全域でクルマの通行を制限したり、速度を規制したりする必要があるのです。対策は「点」ではなく「面」で。今回の結果はそれを支持するものと考えます。

非公開になっている個別事故データの公開を

―もう既に答は出ているように思いますが、今回の研究結果は、今後、どのように社会に反映されていくべきとお考えですか?

 先ず、交通事故対策には公衆衛生学的なアプローチも必要であるという認識が広がるよう願っています。交通事故対策において、公衆衛生学が注目するエンドポイントは人間の生死であり、それを集団レベルで定量化し、対策の効果測定を行います。こうしたアプローチは、交通事故が健康問題であるという認識を高めるものと思います。
 もう一つは、交通事故データの公益利用の促進です。今回の研究では個別データが入手できず、限られた分析しかできませんでしたが、欧米では個別データに基づき、より詳細な分析が長年行われています。より良い安全対策を実現するためにも、そのような研究基盤を一刻も早く整備すべきだと、今回の研究を通して改めて感じました。

2014年度タカタ財団助成研究

「通学時の交通事故の時系列分析に基づく通学路の交通安全対策の提案」概要

【研究代表者】
筑波大学医学医療系 教授
市川政雄

 登下校中の児童生徒が犠牲となる交通事故がメディアで大きく取り上げられることが近年相次ぎ、行政、学校、保護者による交通安全の取り組みが強化されている。しかし、我が国において通学時の交通事故を疫学的な視点から分析した報告は乏しい。本研究では、過去10 年間の通学時の交通事故の発生状況と動向を検討し、経年的な減少が小さい群・状況と大きい群・状況を同定することで、通学中の児童生徒の交通安全に資することを目的とした。
 分析には、交通事故総合分析センターから入手した2003 年から2012 年の全国の6~15 歳の通学中の交通事故データを用いた。主な分析では、死亡または重傷の児童生徒に限定して、性、年齢、当事者種別(歩行者、自転車)、その他事故や現場の状況に関する変数で層別した死亡重傷数を従属変数、年(連続変数)を独立変数、層別の児童生徒人口をオフセット項とするポアソン回帰モデルを作成し、死亡重傷率の年次推移を定量化することで、減少率が小さい群・状況と大きい群・状況を探索した。その結果、10 年間の死亡重傷率は全体で約30%減少していたが、自転車通学の中学生男子の死亡重傷率は14%の減少(95%信頼区間 -24%, -2%)にとどまり、徒歩通学の小学校低学年男子の死亡重傷率は48%減少(同 -57%, -37%)していた。中学生の自転車通学は徒歩通学と比べて数十倍死傷が発生しやすく、経年的な死亡重傷率の減少も小さいため、ヘルメット着用義務化、スクールゾーンにおけるハンプ設置などの対策が望まれる。

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