研究助成プログラム

助成研究者インタビュー・自己紹介

子どもの交通事故死者を減らすために、医師・看護師がチャイルドシートの必要性を強く意識できるような映像を制作しています。

タカタ財団・2015年度研究助成の対象テーマ
「小児医療関係者のためのチャイルドシート着用に関する教育ツールの開発」
この研究の概要について、井上信明氏に語っていただきました。

井上先生

約6割の小児科医がチャイルドシートに関して無知と判明

―先生は小児救急医療の専門家ですが、今回の研究「小児医療関係者のためのチャイルドシート着用に関する教育ツールの開発」に取り組もうと考えるようになったきっかけから教えて下さい。

 私は2002年にアメリカに渡り、数年間、子どもの救急医療の現場で重症外傷を受けた子どもたちの診療に携わりました。その中でいろいろと学んだわけですが、特に「チャイルドシート着用の必要性」と「小児医療関係者へのチャイルドシート着用に関する教育の必要性」について強く意識させられました。

 アメリカはクルマ社会です。あらゆる階層の人たちが日々クルマを利用しており、交通事故件数はかなりの数に上ります。しかも、相当のスピードを出した上での事故により、同乗する人たちが全員死亡するような激しい事故が多く起こるという特徴があります。実際、私は子どもの救急医療の現場で、家族とともに事故に遭って運ばれた子どもの犠牲者に数多く接していました。
 
ただ、そんな悲惨なケースが頻発する中でも、子どもだけがほとんど無傷で生き残るという例も少なからず目にしてきました。それはどういう子ども達かというと、しっかりとチャイルドシートを着用していた子ども達でした。それは見事といっていいほどにはっきりとチャイルドシートの安全効果というものを見せつけてくれていました。私は、日本にいた頃はチャイルドシート着用の必要性というものをそれほど強く意識したことはなかったのですが、こうした体験を経て、それ以降は大きく意識を変えることととなったのです。
 
もう一つの「小児医療関係者へのチャイルドシート着用に関する教育の必要性」は、アメリカの小児科の医師や看護師の在り方、行動に刺激を受けて意識しだしたものです。アメリカの小児医療の現場では、診療の際に保護者に向けて様々なインジュリープリベンション(傷害予防)のためのアドバイスが普通になされるようになっています。その内容は、プールで溺れないようにするために気を付けることとか、異物を誤嚥して窒息しないようにするためにはどうすればいいかとか、多岐に渡るわけですが、その中にはチャイルドシートの必要性と正しい着用に関するアドバイスも含まれています。しかも、生まれたての赤ちゃんや交通事故のために受診したこどもを連れた家族が病院から出る時に、もしクルマにチャイルドシートやジュニアシートが付けられていない場合は、近くのお店で買ってこさせるというほど徹底しています。どうしてそこまでできるのかというと、いろいろと要因はあるのですが、何より小児科医はこどもたちの健康と安全を積極的に護る医師であるという意識が強く持っています。その表れとして、研修の過程でこういった傷害予防の話を保護者に時間をかけてする時間を確保されており、小児科専門医になるための資格試験にそうした傷害予防に関する問題が入っているなど、基本的な教育体制がしっかりとしていました。それで私は、これら医師らの在り方そして要因が、日本におけるものとは大きく異なることを意識しはじめ、その差を何とかしなければという思いを強くするに至ったのです。

 つまり、今回の研究「小児医療関係者のためのチャイルドシート着用に関する教育ツールの開発」は、アメリカにおいて「チャイルドシート着用の必要性」と「小児医療関係者へのチャイルドシート着用に関する教育の必要性」の二つを強く意識したが故に始まったものであるということができるのです。

―研究に取り組まれる前に、国内の190名の小児科医を対象に事前調査を行われたと聞いています。

 はい、チャイルドシートの使用年限や使用方法についての知識があるかどうかを含め、子どもへのインジュリープリベンションに関する意識がどれだけあるかを調べました。その結果、チャイルドシートに関しては、約6割もの医師が「全く知らない」と回答してきました。予想通りといえば予想通りだったのですが、ますますチャイルドシート着用に関する教育ツールの開発の必要性を痛感するに至りました。

医師・看護師の行動変容までを視野に入れた教育映像を制作

―では、研究の概要についてお教えください。

今回は開発する教育ツールを映像に絞りました。そして、①「今回の教育ツールの対象となる医師の特性を元に、教育ツールに盛り込む内容を吟味」、②「現在一般市民向けに作成されているシートベルト着用啓発映像を視聴し、その構成を分析し、①とあわせて効果的な映像の構成を吟味」、③「映像制作会社とミーティングを繰り返し、実際の制作に必要な映像の作り方について議論」、④「これらを元に医師、看護師が主体となる啓発映像作成に必要な撮影を実施」、⑤「映像のデモ阪を作成(産科版、小児科阪)」といった流れで制作を進めました。

―医師である先生が映像を作られたということなのでしょうか?

 いえ、私はこの研究の発案と事前調査、さらには①の部分では主導的な立場で関わっていますが、②以降の実際の映像制作に関しては、早稲田大学理工学部の人間生活工学の専門家である小松原明哲先生や同大学院の酒谷修さんらの多大な協力の下で進行しています。
 例えば、今回の映像では医師らにチャイルドシート着用の必要性の意識をもってもらい、そこから医療の現場で行動に移してもらうようにすることを重要な目的としているので、小松原先生からは「説得における出力段階モデル」の採用を勧めらるなどしました。これは、映像を視聴する対象者に「啓発内容に触れてもらう」→「注意、注目してもらう」→「好感や関心を持ってもらう」→「理解してもらう」→「関連認知してもらう(既に保有している知識と新たに修得する知識および啓発行動を結びつけてもらう)」→「スキルを獲得してもらう」→「態度変革してもらう」といった流れを呼びこむ理論で、既に多くの宣伝や教育コミュニケーションにおいて効果が証明されているもの。それを映像の構成の基本理論として、そこに①の具体的な内容を盛り込んでいくという手法を採りました。

集合フォト

―盛り込む具体的な内容は、どのように決めていかれたのでしょうか?

 早稲田大学で様々な既存の教育映像を検証・分析していただき、その中から雛形になるようなスタイルを選ぶなどし、そこに私が提示する医師特性に合った内容を盛り込んでいきました。
ストーリーそのものは「退院した子ども(産科版は赤ちゃん)が、チャイルドシートを装着していない保護者のクルマで帰宅する途中、衝突事故に遭って悲惨な結果を招き、それを知った医師・看護師が『あのとき、ひとこと言えばよかった』と悔やむ」というシンプルなものなのですが、例えば衝突シーンを入れるにしても、時速100km/hではなくて現実的な速度(時速40km/h
程度)にしてリアリティを持たせるようにし、ナレーターにはプロではなく本物の医者(つまり私)を登場させて説得力を高めるなどしています。すなわち「説得における出力段階モデル」の理論に沿いながら、なるべく視聴対象者である医師・看護師にとって身近に感じられる要素を盛り込むことにしたのです。

―既にデモ版は完成しているのでしょうか?

 はい、2015年の12月に産科用と小児科用のデモ版が完成しています。2016年の3月までには、これを特定の医師・看護師らに視聴してもらい、感想や意識変化の度合いなどを調査し、それらを受ける形で最終版を完成させていく予定です。

―では、その最終版が完成した暁には、どのような展開を考えていらっしゃいますか?

 今後も、映像の教育効果を明らかにするために、引き続き調査・検証を行っていくつもりでいるのですが、その一方で、なるべく多くの医師・看護師らに視聴してもらうための行動も開始する予定でもおります。例えば私が所属する学会などで研究結果を映像とともに発表する等は、その一つに数えられるでしょう。実は現在、小児科学会では「小児科医は子どもの総合医になるべきである」という機運が高まってきており、今回の教育映像は、その活動のひとつとして傷害予防活動は非常に重要な要素になると考えています。
将来の小児科医の教育に役立つものになればと考えています。
アメリカのようになるには、まだまだ時間が掛かると思いますが、こうした場や機会を一つひとつ確実に捉えていき、日本におけるチャイルドシートに関する医師・看護師の意識と行動の変容の輪の拡大を目指していきたい考えています。そして、それによって子どもの交通事故死者が大幅に減少していくことを心より願っています。

2015年度タカタ財団助成研究

「小児医療関係者のためのチャイルドシート着用に関する教育ツールの開発」概要

【研究代表者】
東京都立小児総合医療センター救命・集中治療部 救命救急科 医長
井上信明

日本において小児の死亡原因の一位は不慮の事故であり、その最多は交通事故である。なかでも自動車乗車中に衝突すると重篤な傷害を負うケースが多い。こどもの死傷を防ぐ上ではチャイルドシートは有用な手段であり、諸団体が保護者を対象に啓発活動を展開しているが、日本自動車連盟の報告ではその着用率は改善傾向にあるものの依然6割程度に留まっている。

このような現状を改めるために、子どもの健康に直接的に関わり、健診や診療等で保護者と一対一で接することのできる小児科医や看護師の役割は重要といえる。ところが都内に勤務する小児科医190人を対象に行った調査では、事故予防の話を自信を持ってできる小児科医は少なく、その原因として「知識がない」という理由が最多であった。

チャイルドシートについては、約6割の小児科医がその使用年限や設置方法を全く知らないと答えていた。この状況を改善し、チャイルドシート使用をさらに推進するためには、小児科医、新生児に関わる産婦人科医や看護師らが、チャイルドシートの正しい使用方法やその保護者指導について効率的かつ能動的に学ぶことができる教育ツールの開発が必要と考え、今回の研究を計画した。さらにこの研究経験は、交通事故以外の小児の傷害防止についての小児科医や看護師、また新生児に関わる産婦人科医の指導力向上にも資することが期待される。

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