研究助成プログラム

助成研究者インタビュー・自己紹介

見逃されがちな軽度半側空間無視症例。その運転の危険性を把握するために、独自の運転評価システムを作っています。

タカタ財団・2015年度研究助成の対象テーマ
「軽度半側空間無視症例を対象とした危険運転予測評価システムの開発・検証と運転行動の分析」
この研究の概要について、外川 佑氏に語っていただきました。

外川先生

軽度半側空間無視症例の人は、運転中に左側を見落とす!?

―先生は身体障害作業療法を専門とされているわけですが、どういう経緯で交通問題に関心を寄せられるようになったのでしょうか?
作業療法というのは、障害をもった人が人間らしい生活を再び実現することを支援するために作業を利用してリハビリを進めていくものです。
先ず、身体の機能を元に近い状態に戻していき、次に家の中での生活が普通にできるようにするための支援を行うのですが、それらがクリアになると、次に、患者さんは外に出て社会復帰を図ろうとするので、そのための移動についても支援を考えていくことになります。公共交通機関が発達している都市部であれば、そこまでケアする必要性はあまりありません。しかし、地方ではどうしても自分でクルマを運転して移動する必要があり、障害と安全運転の関連を考えれば、移動の問題を放ったままにしておくことはなかなかできません。そのため、障害を持った人の自動車の運転再開という問題に自然と目が向くようになったというわけです。

―今回は、軽度半側空間無視症例(USN)を示す人の運転に関する研究を進められています。そもそも半側空間無視症例とは、どのような状態のことをいうのでしょうか?

脳梗塞や脳出血が原因で、脳の右半球を損傷した場合、左側の空間から刺激を与えても、それに対してきちんと反応できない状態になることをいいます。例えば視覚ですが、目は見えていても、左側から提示された視覚情報が脳内できちんと処理されないために、何を見た、どこにあったという認識がされにくくなるのです。

これには、大まかに軽度、中度、重度の別があって、重ければ重くなるほど、左の空間は無いに等しくなり、自分が認識する身体の中心線(認識する空間の中心線)がひどく右側に偏るという症状がでてきます。こうなると、いくらリハビリで支援したところで、クルマの運転再開はもちろん、家での生活も覚束ないことになってしまいます。

―では、軽度の半側空間無視症例の人は、クルマの運転を再開することが可能ということになるのでしょうか?

ええ、可能性はあります。軽度の人の中でも、症状が軽く、自分が左側を無視しがちな傾向にあることを自覚でき、それへの対処を意識してできれば、運転を再開できる可能性があります。

ただ、健常な状態の時とまったく同じように運転できるかどうかとなると疑問符は付きます。クルマの運転というのはスピードが出ている中で、様々な動作や操作を同時に行う必要があるわけで、左側を無視しがちな傾向があることを考えれば、安全な状態で運転を再開するのはそう簡単ではないだろうとの推測が成り立つのです。

別の言い方をすると、病院などで行う半側空間無視症例の度合いを測るための机上検査、すなわち行動性無視検査(BIT)で問題ないとされたとしても、それがそのまま運転する際の立体的な世界に適合するとは考えにくいということです。

実際、私は、自動車教習所での実車を使った事前調査などでそのことを裏付けるような運転、つまり左側にいる他の車両を無視しがちであったり、左の側溝で脱輪させたりするような運転を何例も目にしてきました。

―そういう人たちは、自動車運転免許センターでの自動車運転適性検査はパスできないのではないですか?

いえ、自動車運転免許センターでの検査も視力検査などの簡易なものが主となるため、軽度半側空間無視症例の人が詳細な症状を自己申告をしない限り、容易にパスできてしまうところがあります。また、病院側が軽度の半側空間無視を見落とし、「運転再開可能であると判断できる」という診断書を出してしまうということもあり得ます

―今回の研究テーマは「軽度半側空間無視症例を対象とした危険運転予測評価システムの開発・検証と運転行動の分析」となっているわけですが、これには、そうしたチェック体制をなんとかしたいという思いが込められていると考えていいんですね。

そうです。私たち(研究協力者:村山拓也、佐藤卓也、﨑村葉子、小野 浩、伊藤 誠)は、当面、軽度半側空間無視症例の人の危険運転予測評価が客観的にできるシステム=ドライビングシミュレータ(以下、DS)のソフトを完成させることを目指しているわけですが、何れそれが病院や免許センターなどに実際に導入され、運転の可否がきっちりと線引きされる状況が生まれることを望んでいます。そして、そこから、安全な運転再開を支援するためのより有効なリハビリや、クルマに付ける新しい安全運転支援装置が生まれていくことを夢見ているのです。

―ちなみに、現在、軽度半側空間無視症例の人はどれくらい存在しているのでしょうか?

残念ながら、正確な数字を示すデータはありません。ただ、新たに脳梗塞や脳出血になる人は年間約20万人もいるわけで、その中の脳の右半球を損傷させた約4割に軽度から重度までの半側空間無視症例が存在するだろうと考えられます。
ですから、軽度半側空間無視症例の人の数は、決して少なくないということが言えると思います。

完成した精度の高い運転評価システムが、まずは病院に導入されるよう期待する

―今回の研究内容は、
①「ドライブレコーダー等の動画によるUSN無視軽症例の運転行動特性の分析」
②「USN軽症例の特性を生かしたDSを用いた運転評価システムの構築」
③「健常者を対象にした基礎データの蓄積」
④「USN軽症例を対象にした臨床データの蓄積」
⑤「国外におけるUSN軽症例の運転評価に関するフィールド調査」
⑥「運転評価システムの精度検証」
というものとなっています。これまでのお話から、②「USN軽症例の特性を生かしたDSを用いた運転評価システムの構築」を中心に研究を進められたのだと思うのですが、概要と成果について解説をお願いします。

おっしゃるとおり、今回は②を中心とした研究となっており、その他は②を確実なものとするためのデータ収集ならびに検証ということになります。
その内容は、先ほど述べたとおりで、軽度半側空間無視症例の人の運転の可否をきっちりと線引きできるようにするための運転評価システムの構築を進めているということです。

具体的には、本田技研工業株式会社製のDS:セーフティナビを導入し、それに独自のソフトを組み込んで構築を進めています。実際の画面を見てもらえればわかりますが、カーブの続く道を運転する設定がされていて、それでハンドル操作誤差率が定量的に計測できるようになっています。また、画面上には前方の車両が提示され、走行中は前方車両と一定の車間距離を保ちながら走行するのですが、前方車両のブレーキランプの点灯と同時に前方車両が急減速するため、衝突を回避するためにブレーキの操作をしなければならないルールとなっており、それで反応時間が計れるようになっています。

これまでのところ分かってきていることはほぼ予測どおりで、軽度半側空間無視症例の人は、健常者の人と比べると、カーブが続く道路をたびたび左側にはみだして走行する傾向があり、症例によっては前方車両との車間距離も短いという傾向が観察されています。。

なお、④の「USN軽症例を対象にした臨床データの蓄積」では、このDSで得られた結果を教習所の実車を使って裏付けを行っています。ここでも軽度半側空間無視症例の人は左側空間の把握が苦手であることが分かってきており、私たちが構築しているDSでの運転評価がかなり有効であるということの確信が持てつつあります。

DS
DSによる危険運転予測評価システム。ハンドル操作誤差率の計測とともに、急減速する前方車両との衝突回避の反応時間も計測

「本田技研工業株式会社のDSを導入している病院なら、ソフトさえ取り入れてもらえればすぐに活用が可能」と外川 佑 助教

DS2

―なるほど。ちなみに、⑤「国外におけるUSN軽症例の運転評価に関するフィールド調査」は、どこの国で調査されたのでしょうか?

アメリカ合衆国です。実は半側空間無視症例を対象とした交通に関する正式な研究というのは、調べた限り症例報告や総括的な報告しか見当たりませんでした。
アメリカ合衆国には実際の運転リハビリの臨床経験で得られた知見が蓄積されていて、「半側空間無視症例の人は運転すべきではない」との警句が発せられています。私は、これは中等度・重度に限った話であると考えています。軽度は机上の検査では問題が検出されないことが多いため、もしかしたら、気づかれていないだけで、そこまで問題として取り上げられていないのかもしれません。

私たちはそうした事情を垣間見て、日本でもなるべく早く軽度半側空間無視症例の人の交通問題が話題になるべきだと痛感した次第です。

―最後に、この研究成果がどのように社会に還元されていくべきか、その理想の展開についてお教えください。

インタビューの冒頭でも述べましたが、一つは軽度半側空間無視症例の人を対象としたDSによる危険運転予測評価システムを完成させ、それを病院や自動車運転免許センターで活用してもらい、運転の可否をきっちりと線引きできる社会を作り上げることです。

その中でも特に病院での導入が早まることを願っています。それが実現すれば、
先ず、病院での移動に関するリハビリの方向がはっきりと見えてきます。そして、
自動車運転免許センターでの検査の前に運転の可否の絞り込みが確実に行われるため、危険な運転をする軽度半側空間無視症例の人のクルマはかなり少なくなっていくはずです。

実は日本全国の病院には本田技研工業株式会社製のDSを導入しているところが多く、ソフトさえ取り入れてもらえればすぐに活用できるようになるので、何かのきっかけで必要性を認識してもらえれば、事は案外とスムーズに運ぶのではないかと期待しています。
 
もう一つの理想は、自動車メーカーにこの問題を意識してもらい、軽度半側空間無視症例の人たちのための安全運転支援装置を開発してもらうということです。
今、自動運転が実用化されつつあるので、例えば左側空間の対象物への反応を自動で補助するブレーキシステムやハンドル操作システムなどを作っていただきたいな、と。
もしそれが実現するならば、その際には、今回の研究成果とその後の社会での導入で得られたデータを存分に活用してもらえれば何よりだと考えます。
 
いずれにせよ、軽度半側空間無視症例の人の危険運転が社会ではっきりと課題として意識され、相応しい対処がなされていくようになることを強く望んでいます。

2015年度タカタ財団助成研究

「軽度半側無視症例を対象とした危険運転予測評価システムの開発・検証と運転行動の分析」概要

新潟医療福祉大学 医療技術学部 作業療法学科 助教
外川 佑

半側空間無視(以下USN)は感覚的な刺激に対して、発見して報告したり、反応したり、その方向を向いたりすることが障害される病態であり、リハビリテーションを実施している脳卒中右半球損傷患者の約4割に認められる。

USN症例の自動車運転は軽度であっても危険があるため、禁止すべきであるとの意見が多いが、実際には、患者自身が詳細な症状の自己申告をしなければ、公安委員会の運転適性検査基準をクリアし、自動車運転免許証を取得できてしまうといった重大な問題点がある。

重度から中等度のUSN症例については運転再開を考えるレベルに至っていないことが多いが、軽症例では日常生活上問題の無いレベルであることから、生活の行動範囲拡大や自立につなげるために、運転復帰させるべく自動車運転評価を実施することがある。このような活動範囲の広いUSN軽症例については、代表的なペーパーベースの机上検査である行動性無視検査(BIT)や日常生活の観察において異常はほとんど検出されないことが多い。
しかし、申請者は、BITでの異常は認められないものの、ドライビングシミュレータ(DS)や実車運転において初めて左空間の無視症状(走行時の左側への偏位、左側車輪の脱輪や車両の接触などの危険)が観察された症例を複数例経験している。また、そのDSを用いた経験から、危険運転との強い相関が疑われる検査の項目を見出すことができた。

本研究では、軽度USN症例の運転危険性について、自動車運転免許センターなどの現場において容易に把握できる検査ツールを開発することを目指したい。

本ツールの開発により、脳卒中後の危険ドライバー輩出を抑制するといった交通安全面の効果や安全運転支援のためのリハビリ、安全運転支援装置の開発といった支援基盤の確立・向上に繋げることが出来る。

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